院長:平澤伸彦(ひらさわのぶひこ) スマイルクリエイター
経歴
1994年 岡山大学歯学部卒業
1994年 岡山大学歯科補綴学講座勤務
2000年 ファーストデンタルクリニック開業し現在に至る
その後、東京医科歯科大学矯正科の矯正指導医やインプラント専門医に師事し、現在の最新歯科治療を提供する診療スタイルを確立する。
開業後は徹底的に病気の原因を除去し、一生自分の歯で食事を楽しめ、笑顔に自信が持てる治療を信条としスタッフと共に日夜、汗を流している。
成城7丁目在住。おとめ座のA型。

【平澤をより知っていただく為の詳しいプロフィール】
私は子供の頃は、東京都町田市三輪町というところで育ちました。駅で言いますと、小田急線の柿生と鶴川の間ぐらいでした。結構な田舎で、駅までは歩くと40分以上かかるようなところでした。親はサラリーマンで歯科とは全く無縁です。歯の治療は子供の頃からよく受けており、今考えると虫歯の多い方だったと思います。ただ、予防してくれる歯科医院もなく、学校検診でむし歯を指摘され歯医者に行くという悪循環でした。
小学3年の秋から中学受験勉強をさせられました。もちろん自分で勉強しだしたわけではなく、親が熱心だったのです。公立の小学校に行っていたこともあり、受験勉強している子供はまわりにおらず、遊びたいのを我慢して学校からすぐ帰って勉強していていました。その後、中学受験するも唯一合格した桐蔭学園に通い始めました。当時の桐蔭学園は今と違いあまりレベルが高くなく、自宅から自転車で通えるのが便利という程度でした。
中学・高校時代で得意だったのが数学と美術で、英語・国語・生物・音楽などはとても苦手でした。運動もあまり得意ではなかったです。そんな訳で、大学受験では工学部や理学部などを受験しようと思っていたのですが、たいした受験理由もあるわけではなかったのでした。
大学受験の願書を取り寄せようとした時期に、友人の矢沢(あだ名はエイチャン)が突然歯学部受験を表明したのです。歯学部など考えてもいなかった私は、早速調べてみると医学部ほど偏差値も高くなく、私にも受験できそうでした。そこで、親に「歯学部っていいのかな?」と聞くと「ソリャ、いいよ」と無責任な返事。まに受けた自分は、歯学部を受験してしまうのでした。ところが国公立の歯学部は少なく、当時の共通一次の関係もあり唯一合格した「岡山大学歯学部」に入学したのでした。
ところが当時の私は「広島と岡山とどちらが大阪寄りか?」と言われるとすぐに答えが出ないぐらい岡山には無知な私でした。しかし数ヶ月するとすっかり馴染み、友人からは「本当に東京出身なの?」と言われるぐらい岡山弁が上達していました。在学中はやや歯並びが悪かったため、矯正治療しました。矯正によって歯はキレイになったものの、全ての親知らずと小臼歯の合計8本を抜いたつらい体験から、歯を抜かない矯正治療に興味を持つようになりました。
卒業後は補綴学講座に研修医として残りました。補綴とはさし歯や入れ歯のことです。
「先生は卒業何年目ですか?」
何とか担当の患者様を任せられ自分なりには頑張っていた1年目でした。きっとあまりの手際の悪さに、呆れていたのだと思います。その後先輩ドクターの診療をアシストし、見学して勉強させてもらいました。大学病院なので診療は夕方4時頃に終わるのですが、その後は入れ歯などを夜12時ぐらいまで作っていました。
本来は技工士さんの仕事なのですが、勉強のために自分で作るのです。大変な毎日でしたが、実際に作ると自費治療と保険治療の材料と技術のとてつもなく大きな差を身を持って体験しました。例えば、自費の金属では継ぎ目がスムーズにピッタリになるのに対し、保険の金属では歯との継ぎ目の部分にどうしても段差が生じます。時間をかけて丁寧に作成しても、材料的な差は埋めることが出来ないと感じました。「自分が治療されるなら絶対に自費の材料と技術」と確信した時期でした。

その後、県北の津山中央病院の口腔外科に勤務を命ぜられました。ここは一般診療もしているのですが、口腔外科として一般の歯科医院では手に負えないような顎骨の骨折や重症患者の治療にあたりました。幸か不幸か私の勤務した時期には重症患者様がとても多く毎週手術の連続で大変でしたが、勉強という意味ではよかったと思います。
その後、東京に戻り立川市で分院長として勤務していました。分院長といっても、ドクターは私一人なのですが開業20年の医院を任されていました。駅からも遠く離れた大通りからもずいぶん入った普通の建売住宅を改造した医院(リビングが待合室、キッチンが診療室、脱衣所がレントゲン室)ですが20年の歴史というのは素晴らしいもので、地域には愛された存在でした。この時期に矯正治療やインプラントの師匠と呼べる先生に巡り合い、入れ歯や歯並びが悪ければ虫歯や歯周病も根本的には治せないと確信しました(すぐに再発してしまうため原因除去治療できないという意味です)。現在の診療スタイルの基礎が出来た頃です。
その後、2000年に世田谷区成城に開業しました。開業後は健康に関心の高い地域の患者様に大変恵まれましたが、同時に良い治療を長持ちさせていく為の予防歯科の必要性に迫られました。予防歯科というのは、時間がとてもかかる割には採算が悪く、真剣に取り組んでいる歯科医院自体が少ないのが実情です。そこで、予防歯科の第一人者の講習会を受講し、予防に関心の高いやる気のある歯科衛生士を予防専門スタッフとして仲間入りしてもらいました。さらに予防専用の診療台を設け、じっくり時間をかけて予防できる体制と勉強できる環境を整えました。今では患者様から「予防に力を入れている歯科医院が近くにあって良かった」とご感想頂けるようになりました。
私の診療スタイルは患者様を一日でたくさん診療するより、少ない患者様にじっくり時間をかけ診療する方です。歯科の治療とは、医科で言えば外科の小手術みたいなもの連続です。その為に丁寧に行えば時間がかかり、細かい作業ですので神経が磨り減るため、多くの方を診療できないのです。また保険の材料では限界があり満足できる結果は得られず、すぐにまた悪化しますので自費治療が中心に治療を進めてまいります。私たちは今後もより良い治療を通じて、徹底的に病気の原因を除去し、一生自分の歯で食事を楽しめ、笑顔に自信が持てる治療を目指してまいります。そしてそれを望む意識の高い方々と共に歩んでいきたいと考えています。
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ドクター:若松美希(わかまつ みき) 歯周病バスター

生まれも育ちも杉並区荻窪。中央線で新宿まで10分、丸の内線の終始点であり交通の便はとてもよく、住宅地なのでスーパー、コンビニ、公園、駅ビル、結構何でもある本当に住みやすい町です。
そんな荻窪でどんな幼少時代を過ごしていたかというと、私は幼稚園から四谷にある私立の雙葉(ふたば)という学校に通い始めました。高校まである女子校です。クリスチャンの学校だったので、勉強もさることながら、思いやりの気持ちや助け合いの精神、人の強さや弱さ、それを理解することや感謝の気持ちを学びました。
それにしても14年間!同じ学校に通い続けていたなんて・・・長いですね。私は中学からバスケ部に入りました。朝練、昼練、夕練があって、合宿があって、一日のうち家族よりも長い時間を仲間と過ごして引退するまでの5年間(中高一貫だったので)、心から尊敬できる先生と出会い、我慢することやつらくても諦めず頑張る事、上下関係からの礼儀などを得ました。そしてこんなに長い年数一緒に学んだからこその、心から信頼できる友人を得ることが出来たと思います。
さて、なぜ私が歯科医を目指すようになったかですが、私の両親は歯科医師ではありません。しかし、医療はとても身近にありました。特に強く影響を受けたのは医師である母でした。家の隣で開業しているので、子供の頃から患者さんに慕われている姿や何事にも頑張る姿を見てきて、子供ながらに“びょうきをなおすスゴイお母さん”に憧れを覚えていたのかもしれません。
そして幸運なことに、歯医者さんも幼い頃から身近にありました。親戚の叔父叔母夫婦が歯科医師で、近隣で開業していたのです。母の姉なので仲がよくしょっちゅう遊びに行っていました。ですが・・・行くのは決まってお昼休みなどで、今思えばもったいないと悔やまれますが「治療しに行く」のではなく「遊びに行く」だったので私自身の口腔内が子供の頃からしっかり管理されていたかといえば疑問です。
そして中学高校でバスケに夢中になり、かついつでも治療してもらえるという安心感からでしょうか、虫歯の治療を後回しにしてしまうようになってしまったのです。歯科を勉強した今では何とも恐ろしい話ですが、治療途中でそのまま放置してしまったこともあるのです。そのため私の口腔内は悪くなる一方。おまけに悪くなってから聞いた「虫歯になりやすい口の中だね。」の情報。知らないということはとても怖いことです。

部活も引退し受験モードになった時いよいよ具体的な進路を決めなければいけなくなりました。このような成長過程ですから、ぼんやりと医療系の職業に就ければとは思っていましたが、色々悩みました。そこで登場したのが兄です。私が悩んでいる頃すでに兄は歯学部の学生で、相談したり話を聞かせてもらい、自分が歯で困ったことも手伝って歯医者になろう!と決意しました。
そうして兄と同じ日本大学松戸歯学部に入学しました。大学で6年間歯科学や医学を学ぶにつれてそれを知っていれば!と思うことが山ほどありました。そして、あー、あの歯の痛みはこういう状態ね。と自分に置き換えて納得することも多々ありました。
ある時、指導してくださっていた歯科医師の先生が私の口の中を見て一言。「君は痛みとか治療とか沢山経験しているから患者さんの気持ちがよく分かるね。」確かに!歯科医師を目指しながらも自分の歯がこんなに治療してあって恥ずかしいと思っていた私がコンプレックスから解放された瞬間でした。
子供の頃麻酔の注射を涙を流しながら我慢してよかった、突然襲ってくるこの世のものとは思えないほどの歯の痛みを経験してよかったと。こんな思いをしている患者さんを理解できる、そしてそんな思いをする人を出来る限り減らしたい!そう思い歯科医師という職業によりいっそうやりがいを感じました。
歯科医師になった現在、不安を抱えた患者様の気持ちが少しでも軽くなるよう、歯科治療に対する恐怖やストレスが少しでも取り除けるよう、具体的にどのようにしたらよいかを常に考えて患者様と向き合っています。
特に虫歯治療や歯周病治療、小児歯科に力を入れています。患者様とどんどんコミュニケーションをとっていきたいと思っていますのでご意見やご質問などありましたら気軽にお声をかけてくださいね!